オーナーの引き出し        第29回

開幕近し・・。ナンだか凄く試合から離れていたような気もするし、そうでもない感じも有るし・・・
ワクワク、ドキドキしながらも冷静な部分があるのは今だけで、開幕日なんかきっと、朝から野球以外のことは無視になってしまうであろう我が家・・・。大丈夫か?? 球場に行けるかが現時点で不明なのが悲しい所・・・。
今年は去年ほど球場に行けるか・・わかりませぬ。でも、出来る限り時間を作り、出かけたいとおもいまふ。

さてさて、ツリャが「考える駅長」(第4回)のコーナーでも少し書きましたが、最近、ライオンズが地域密着構想を打ち出し、イースタン・リーグ公式戦主催試合の半数、25試合を目標に、埼玉県内で開催する計画があることを発表したらしいです。
おひラは決して、この考えに反対ではありませんが、ちょっと考えてみるととても難しい事なのかもしらんなぁ・・と・・・。

今までのイースタンのライオンズ主催ゲームは西武ドームのお隣、第2球場が主でした。これについて考えると・・
まず、立地・・。西武ドーム(第2球場)はご存知の通り埼玉県所沢にあり、電車で来ると大宮、浦和など、埼玉県内の主要駅からでも1時間かかります。所沢市・・という範囲で考えれば、電車、車(600台収容の駐車場が増築されます)共に、そんなに不便ではない訳ですが、ちょっと離れると気軽さには欠けます。
第2に地域性・・。所沢は開けており、買い物や遊ぶのにはそんなに不便ではないけれど、「お出かけ」として若い人が出かけるのには新宿、池袋が主になっていると思います。通学、通勤後、ちょっと寄る・・には西武ドーム(第2球場)は不便。「野球を見に行く」という目的がある人意外はナカナカ足が向きません。

そういう中で「イースタンのライオンズ主催ゲームを埼玉県内での開催」と地域を広げている訳ですが、問題は試合開始の時間・・・。
今まで、ある意味「大ファン」か「通」が見に来る・・というイメージの強い2軍戦ですが、これをもう少し広く見てもらう為には「開催場所の拡大」だけでは不十分ではないでしょうか?
土日は別として、平日大体が13:00位からの開始。仕事が平日休みの大人や予定が組める大人はいいのですが、子供は学校の終わりが14:00位からではないでしょうか?とすると、一度家に帰って球場に来るのは15:00位になり、一軍の試合より早く進むと思われるイースタン戦だと本当に最後の方しか見られない計算になるのでは?
できれば半分以上は見れる時間に設定したら(14:00〜開催くらい)少なくとも子供には来易いと思いまふ。
おひラは大人が見に来る事も、とても大切ですが、長く地域に定着させる為には「子供のファン」の獲得が不可欠ではないかと考えています。大人になってから急に野球ファンになる確率は低く、そういう人が2軍の試合に急に足を運ぶようになる事はナカナカ難しいですが、子供は見たらファンになる確立は「今まで野球を見なかった大人」より高いと思います。
それに、子供は何人かが一緒に来る事になるのが多いですし・・・。
リトルリーグ、少年野球などは誰かが引率してくれさえすれば、近所で試合が開催される時は時間を合わせて皆で見に来る事も出来るかもしれません。いくら2軍とは言え、プロのプレーですから連れてくる価値もあるでしょう。
そして2軍選手は当然、いつか1軍に出る選手がいるわけですから、今見た2軍選手が1軍に昇格し、活躍した時には愛着もわくと思います。
我が家も2軍戦に行った事がありますが、友人などを誘うのには「野球を見る人」であっても、よっぽどの選手が調整でもしていない限り難しいですし、平日は子供の姿も少なかったです(ほとんど皆無でした) ライオンズが好きな人で時間が有る人はどこでやっても見に来るはず。地域の密着には新しいファンの獲得が出来る体制を作る事が必要であるとするなら、「見に来てもらえる可能性のある人」の時間なども調べ、合わせる事も重要かもしれません。
いずれにしろ、ドコでやるにも2軍戦を見に来てもらうためには今まで以上の広報とサービスが必要になります。出来るだけ沢山の人に「試合をやっていること」を知ってもらえなければドウにもならないですし、「行こうと思わせる魅力」が試合意外にも求められると思います。
おひラ的には「入り口」はどういう形でもいいし、始めはにわかファンでも良いんじゃないか・・と。それが後々のファンに繋がる可能性は大いにあると考えています。
大変かもしれませんが、どのチームも大変な今、どうせやるなら徹底的に考えてやって、成功させて欲しいですね。
地元(埼玉)じゃないけど、我が家も行ける限り行きたいですよ。 
本拠地で2軍から盛り上げて全国へ!地元だけでなく、最終的にはもっと広い範囲を焦点に考えないと面白くないですよね。
田舎育ちのおひラにとっては、その辺も考えたい所ですが・・それについては又いつか。


2004年3月14日  記